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東京で食べられる絶品ホテルスイーツ🍰マツコ&有吉 かりそめ天国 3時間SP 北関東の冬グルメ&極上宿で頂上決戦🏩ホテルニュー オータニ

 こんにちは 猫好き父さんです 東京で食べられる絶品ホテルスイーツ どのようなスイーツが登場するのでしょうか? 興味津々です 永田町・キャピトルホテル東急の不思議な形の極 上パンケーキや、虎ノ門・アンダーズ東京の美し いフランスの焼き菓子、紀尾井町・ホテルニュー オータニの1ピース4000円超えのメロンショートケ ーキなど、絶品のスイーツが登場する。 ホテルニュー オータニは紀尾井町も幕張も宿泊したことがあるのですが メロンショートケーキは食べたことがありません(´;ω;`)ウッ… 番組の中で作り方の紹介があるのですが 静岡産の1個1万円の厳選されたマスクメロンを ホテルで熟成 使うところはほぼ中心の甘いところ 皮に近い部分は使用しないということでした メロンのコストだけでを考えても ワンピースが4千円を超えるのは納得がいきますね 新エクストラスーパーメロンショートケーキ 1日限定20個 画像は公式からの引用です エクストラスーパーメロンショートケーキ 「エクストラスーパーメロンショートケーキ」は、ホテルニューオータニのパティスリーSATSUKIで提供されている、贅沢なメロンショートケーキです。 特徴 糖度14度以上の国産マスクメロンを贅沢に使用 生地、クリーム、フルーツの全てにこだわった究極のショートケーキ みずみずしいライチの層がアクセント 葛をまとったメロンが輝きを添える 詳細 ホテルニューオータニの「パティスリーSATSUKI」は、厳撰素材とパティシエの技とアイデアで、定番でありながらも進化を続ける“究極のショートケーキ”を提供しています。 国産メロンの甘さを最大限に活かすため、生地・クリーム・フルーツが三位一体となった逸品です。 和三盆糖やバニラビーンズを加えた生クリームは口当たり軽やかに、国産メロンの甘さを引き立たせます。 隠し味として、みずみずしいライチの層をプラスし、すっきりとした後味を演出します。 さらに、ケーキの上には葛をまとったメロンを贅沢に。よりメロンの味わい引き立つショートケーキに仕上げました。 提供場所 ホテルニューオータニ(東京)「パティスリーSATSUKI」 関連情報 ホテルニューオータニでは、この他にも「スーパーメロンショートケーキ」や、メロンを使用した様々なスイーツを提供しています。 まるで“スーパーメロンショートケー...

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ゴールデンウィークに古代インド様式建築の築地本願寺を訪ねる🤖変なホテル東京銀座2024/05/03~05

  こんにちは

猫好き父さんです

ゴールデンウィークに

変なホテル東京銀座に宿泊して

ラ・フォル・ジュルネを楽しむ旅

1年越しの更新です

早朝はおきまりの散歩

今回は築地に向かいます

そしてまず訪れたのは

築地本願寺

いや、びっくりです

まさか東京にこんなに立派な

異国情緒あふれる

お寺があるとは

思いもよりませんでした


























**築地本願寺(つきじほんがんじ)**

築地本願寺は、東京都中央区築地にある、**浄土真宗本願寺派(本山:京都の西本願寺)の直轄寺院(東京別院)**です。

その最大の特徴は、日本の伝統的な寺院建築とは全く異なる、古代インド様式を取り入れたユニークな外観です。

主な特徴:

  1. ユニークな建築様式:

    • 現在の本堂は、1923年の関東大震災で焼失した後、建築史家であり建築家である**伊藤忠太(いとう ちゅうた)**の設計により、1934年(昭和9年)に再建されたものです。
    • インドや仏教圏の建築、さらにはアール・デコなどの要素も取り入れられており、ドーム屋根、石造りの外壁、ゾウやライオン、蓮の花といった様々な動物や植物の彫刻・装飾が見られます。その異国情緒あふれる姿は、築地の街並みにおいて非常に目を引きます。
  2. 歴史:

    • 寺院の起源は古く、江戸時代初期の1617年に浅草御坊として創建され、後に明暦の大火(1657年)で焼失したため、現在の築地に移転しました。関東大震災による焼失を経て、現在の建物に至ります。
  3. 現代的な取り組み:

    • 近年、伝統的な寺院の枠を超えた、開かれたお寺としての活動に力を入れています。
    • 誰でも気軽に立ち寄れるように、カフェ&レストラン「Tsumugi」やブックセンター、インフォメーションセンターなどを併設しています。
    • 音楽会、講演会、ヨガ教室など、様々なイベントも開催しており、仏教に馴染みのない層にも門戸を開いています。
    • 動物と一緒に入れる合同墓など、時代のニーズに合わせた供養の形も提供しています。
    • 早朝に本堂でお勤めをし、その後朝食をとる「テラノワ朝活」のような企画も行われています。

位置づけ:

東京都内における浄土真宗本願寺派の中心的な寺院であり、その独特の建築様式と現代的な活動で、仏教寺院としてだけでなく、東京の文化的なランドマークの一つとしても知られています。

このように、築地本願寺は、歴史ある寺院でありながらも、その斬新な建築と現代社会に開かれた活動を通じて、多くの人々にとって親しみやすい存在となっています。


築地本願寺は、独特な外観を持つ本堂を中心に、様々な機能を持つ建物や施設で構成されています。単なる参拝の場としてだけでなく、現代的なサービスを提供する複合的な施設となっています。

主な構成要素は以下の通りです。

  1. 本堂(Hondō):

    • 築地本願寺の中心となる建物で、あの特徴的な古代インド様式の外観を持つ部分です。
    • 阿弥陀如来(あみだにょらい)をご本尊としてお祀りしており、日常のお勤めや法要など、寺院の中心的な活動が行われる場所です。
    • 内陣(本尊を祀る場所)や外陣(参拝者が座る場所)などがあります。
  2. インフォメーションセンター / 総合案内所:

    • 参拝者や来訪者への案内、各種手続き、仏教に関する情報提供などを行う窓口です。現代的なデザインで、誰でも入りやすい雰囲気になっています。
  3. 本願寺テラス / カフェ&レストラン Tsumugi:

    • 寺院内に併設されたカフェ・レストランです。参拝者だけでなく、一般の方も気軽に利用でき、朝食からランチ、カフェタイム、夕食まで楽しめます。
    • cafe 1894は、美術館の改修工事に伴い休業中ですが、Tsumugiは本願寺の施設として営業しています。
  4. 納骨堂(Nōkotsudō) / 合同墓(Gōdōbo):

    • 近代的な納骨施設です。
    • 特に、ペットと一緒に入れる合同墓など、時代の変化に合わせた多様な供養の形を提供していることで知られています。
  5. 書籍・仏具売店:

    • 仏教に関する書籍や、お香、数珠などの仏具、記念品などを購入できるスペースです。
  6. 法要施設 / 客殿 / 会議室:

    • 個別の法事や、宗派の集まり、会議、研修などに使用される部屋やホールです。
  7. 駐車場:

    • 都心にありながら、比較的規模の大きい駐車場を備えています。

これらの施設が、本堂の周囲に配置されており、参拝や観光だけでなく、食事、休息、情報収集、さらには法要や供養まで、様々な目的で利用できるようになっています。そのモダンな構成は、伝統を守りつつも現代社会に開かれた寺院としての姿勢を象徴しています。


築地本願寺が古代インド様式建築になった理由

  1. 設計者・伊藤忠太の建築思想:

    • 築地本願寺の本堂を設計した伊藤忠太(いとう ちゅうた)は、単なる建築家ではなく、日本の近代建築史において非常に重要な建築史家でもありました。
    • 彼はアジア各地を広く旅して、インド、中国、トルコなどの様々な建築様式を研究しました。特に仏教建築の歴史やルーツに深い造詣を持っていました。
    • 伊藤忠太は、当時の日本で主流だった西洋建築の模倣だけでなく、日本建築の独自の発展や、アジアの建築様式からのインスピレーションを重視する考えを持っていました。
  2. 仏教の発祥地への敬意と象徴性:

    • 仏教はインドで誕生しました。総本山である西本願寺の別院として、仏教の発祥地であるインドの建築様式をデザインに取り入れることで、仏教の根源への敬意を表し、仏教の普遍性や壮大さを象徴しようとした意図があったと考えられます。
  3. 関東大震災後の再建という機会:

    • 1923年に関東大震災で以前の伝統的な木造の本堂が焼失したことで、ゼロから新しい建物を建てる必要が生じました。これにより、伝統的な様式に縛られず、伊藤忠太の斬新な建築思想と仏教のルーツへの思いを反映させた、他に類を見ないデザインが実現可能となりました。

このように、築地本願寺の古代インド様式建築は、建築史家である伊藤忠太の深い学識と建築思想、仏教の発祥地であるインドへの敬意、そして震災からの復興という特別な機会が組み合わさった結果と言えます。単なる模倣ではなく、日本の風土や技術も考慮された上で、アジア各地の様式が融合された独自の「伊藤忠太様式」として表現されています。


**伊藤忠太(いとう ちゅうた)**

伊藤忠太(1867年 - 1954年)は、日本の近代において非常に重要な建築家であり、建築史家でもあります。「建築史学の父」とも称されます。

主な功績と人物像:

  1. 建築史学の確立と研究:

    • 日本で初めて体系的に建築史学を確立した人物です。
    • 特に、日本や中国、インドといったアジアの建築史を深く研究しました。その研究のために、明治末期から大正初期にかけて、トルコ、インド、中国、ビルマ(現ミャンマー)、シャム(現タイ)、インドネシアなどを数年間にわたり大旅行し、各地の建築様式を実地で調査しました。この経験が、彼のその後の建築思想と設計に大きな影響を与えました。
  2. ユニークな建築設計:

    • 西洋建築が主流であった時代に、アジア各地の建築様式や日本の伝統的なデザイン要素を取り入れた、非常に個性的で装飾的な建築を設計しました。彼のスタイルは「伊藤忠太様式」と呼ばれることもあります。
    • 自身の建築史研究で得た知識を設計に活かし、様々様式を折衷・融合させた、独特の魅力を持つ建物を数多く生み出しました。動物や植物、空想上の生き物などをモチーフにした装飾を好んで取り入れました。
  3. 教育者として:

    • 東京帝国大学(現在の東京大学)の教授として、長年にわたり教壇に立ち、多くの建築家や建築史家を育成しました。

代表的な建築作品(一部):

  • 築地本願寺(東京都): 最も有名で、古代インド仏教様式を大胆に取り入れた傑作です。
  • 一橋大学兼松講堂(東京都): 彼の代表的な作品の一つで、ロマネスク様式に東洋的な要素を加えたようなデザインです。
  • 大倉集古館(東京都): 東洋美術専門の美術館。現在の建物は再建ですが、彼が初代設計者です。
  • 忠霊塔(ちゅうれいとう): 戦没者を祀るための仏塔で、日本各地やかつての海外領土にも設計しました。日本の仏塔形式に自身の様式を加えています。
  • 東京帝国大学工学部建築学科本館(旧): 動物の彫刻など、彼の個性が光る装飾が見られました(現存せず)。

その他:

  • 建築史だけでなく、妖怪や幽霊といった日本の民間信仰や伝承にも深い関心を持ち、「幽霊園」という構想や、妖怪に関する絵(化け物尽くし)なども残しています。

伊藤忠太は、学問としての建築史を日本に確立した功績と、その深い知識に基づいた独創的な建築設計の両面で、日本の建築界に多大な影響を与えた巨人です。


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